黙示録の鐘が響く時聖域より舞い降りし………
皆様こんばんは。ひがなです。
今晩はストロベリームーンという赤っぽい月が見れる夜だそうで。ロマンチックですね。
いかがお過ごしでしょうか。
赤い月、もとい『緋い月…†』
中二臭くってもうそういうの大好き💕
何を隠そう僕も現役時代は中二病こじらせまくってたクチなので(今でも天使設定とかしちゃう)とても心が躍ります。
そんな心の模様を表すようなブログタイトルにしてみました。天使です。
中二病といえば色々な種類がありますよね。
怪我多いとか見えないものが見えるとか。
生まれ変わりとか服装真っ黒だったりとか身体に悪いことしてみちゃったりだとか。
そのなかでも、思考的中二病だった頃の僕のお話をしようと思います。夕方ちょこっとTwitterにも書いたけどね。
その頃の僕は、先陣切って何かをまとめあげようとする、所謂リーダー的な存在が大嫌いでした。
誰でも出来るような仕切りを声を大にしてドヤ顔でこなすバカ共が…なんて真面目に思ってました。軽蔑してました。
どうせ大した事もせずお手軽な優越感に浸って気持ち良くなりたいだけなんだろ…と。
…もう既に枕に顔を埋めて足バタバタしたいです。
そして数年後、社会人になった僕はその自分の考えの甘さに気付かされる訳です。
社会人になって半年くらいですかね?
僕はある本当に限定的なポジションでの責任者を任されました。とても小規模だったので僕にも何とかできんだろー、くらいの軽めの気持ちで望んで泣きを見ました。
まーーー自分以外の人間の話を聞かないこと聞かないこと!!
言ったことをやらない、自分で何も考えない…。
社会のクズが!ぐらいに思ってたと思います。
ですが今考えると違いました。
その人たちがやらない、考えないのではなく、『僕がやらせられない、考えさせれない』のです。
人望、という言葉を調べると、『★ある人が世間から受ける非常によい評価、評判。』とあります。(goo辞書より引用)
まさにこれが足りてなさ過ぎたのです。(今も?)
評価、評判の正しい得方、というのを僕はまだ知りません。多分これ!っていう正解は無いのだと思います。
ですがその頃の僕は、金髪にロン毛に目つきの悪い18歳のクソガキでした。
正解はなくても不正解はあると思うんです。
そんな明らかにチャラチャラした奴に人が付いてくるか、といえばノーと言わざるを得ません。
僕は決して派手髪や長髪を否定したいんじゃないです。立ち振る舞いや物言い、思考や言動でいくらでも人望なんて得るも捨てるもできるんじゃないでしょうか。
話を戻しまして、昔僕が嫌っていたリーダー、つまり人望のある人は、きっと僕にはできないことをしていたんだと思います。笑顔、会話、肯定……etc.
僕は自分で言うのもなんですが、人の本質を見抜くのは少しだけ得意です。
疑ってかかれば嘘は何となく見抜けます。
どんな気分で喋ってるのか、とか、何を言いたいのか、を分析するのが好きです。なので人狼ゲームとかめっちゃ得意です。
ですが本質を見抜けても、人望を集めるのはまた別の問題だったみたいです。
人に好かれる人、嫌われる人。
僕は後者だったんでしょう。
好かれる人、そしてその才能を持つ人が恨めしくて仕方なかったです。
そんな才能を嫌う、若しくは嫉妬していた醜い若者のお話でした。
皆様は他人を見て「あ、いいな」なんて思う事があったら是非是非真似してみましょう。
絶対に悪い方向には行きません。天使が保証します。
説教くさくなっちゃったな…1番説教されなきゃダメな奴なのに…………。
人望、欲しい😍😍😍
25億秒
皆様こんにちは。ジメジメした空気が気に入らないひがなです。
いくら雨音が好きだって書いたからってこの蒸し暑いのは嫌やわー!!!と嘆きつつ書いております。
関東地方は昨日から梅雨入りだそうで、まだ暫くはこの天気が続くんでしょうね。アーメン。
これから生きていく人生の中で何度梅雨が来るのかはもう考えたくありませんが、この偏頭痛とも上手く付き合っていかなければいけないのでしょうかね…。
人生と言えば、人が80年生きると仮定した場合、秒数に直すと約25億秒になるそうです。
思ったより少ないなーと思うか、意外と多いな…と思うかは読んでいる皆様それぞれで違うのでは無いでしょうか。
僕は思ったより少なく感じるなー派です。
時間ってのは流れる水のようなもの…と言うのは古今東西色々なところで表現されてきた例えですが、まさにその通りで、
今僕がこの記事を書いている10分も、秒数に直せば
600 / 2500000000 となる訳です。うーん短い。
この600秒は、今後どうやっても取り返せ無いし、有益か無益か…と聞かれれば何方かと言えば無益に近い時間の過ごし方なのでは無いでしょうか。まあ仕事中サボって書いてるんですけどね😇😇
つまり、25億秒という短い時間、流れ続けるシャワーの水に手を突っ込んでいるのが人生何じゃないでしょうか。
手から落ちた水はもう使えないし、今か手に落ちるてくる水はどんな水なのかわからない、もしかしたら誰か悪意のある人のせいで5分後には水が止まってしまうかも知れない。
そう思うといてもたっても居られなくなりませんか??何かしなくては、と思うひがなです。
僕はもうすぐ、とても大きな選択を迫られると思います。何の選択なのかはまだ言えないけど。
その瞬間に、あーあの時あぁしておけば良かった、なんて悩んだり落ち込んだりするのはもう懲り懲りなので。色々な事に首を突っ込んで後悔のほぼ無い人生を歩みたいと切に思います。
人生やり直してえ…ᐠ( ᐛ )ᐟᐠ( ᐛ )ᐟ
ひがな
人魚姫🐙
皆様こんにちは。ひがなです。
土曜の日中、いかがお過ごしでしょうか。
僕は夜書いたようにお仕事です。
僕は読書が好きです。
母の持っていた本を幼少期に読み漁っていたせいでしょうか。ジャンルはマルチに好き嫌いせず読んでいます。(母の持っていたハチミツとクローバーが人生で初めて読んだ少女漫画)
仕事中、少しでも間を見つけては数ページ、或いは数行読み進めてたりもします。(サボリ!)
今日読んでいたのは多分ほとんど知らない人は居ないであろう『人魚姫』
子供の頃に読んだ童話の中のひとつとして記憶していたのですが、電子書籍で見つけたので購入してみました。
著者が『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』という方。アンデルセン童話、なんて呼ばれてたりしますが聞いたことあるでしょうか。
薄れ掛けの記憶を呼び戻すと、人魚姫が難波船から助けた王子様に恋をして、魔女に声の代わりに尻尾が人間の脚に変わる薬をもらうが、その薬は王子の愛を得ないと死んでしまうとういうくせ者。喜び勇んで王子の元へ行くが、恋叶わずそのまま泡となって消えてしまう…。
という、なんとも悲壮的な物語でした。
今回読んだアンデルセンの原文翻訳の人魚姫はもっとエゲツなかったです。気になる方は是非に。
この物語は、人魚姫の非恋が主題か、と言われると僕は違和感を覚えます。
これは契約の物語だと僕は解釈します。
『人魚としての膨大な寿命と、美しい声を、人間として生きる為の脚と王子と共に生を終える寿命の引き換え』うん、フェアじゃない契約ですよね。
しかし人魚姫の愛はそのアンフェアな条件を飲める程のものだったのでしょう。
更に王子と添い遂げるには、半永久的に王子の愛を享受し続けなければいけないという条件付き。
店頭で「お、安い」と思って買おうとしたパソコンが、同時にインターネット回線の契約をしなくてはいけない値段だった、って感じでしょうか。ちょっと違うか。
原文の方では、人魚姫の脚は歩く度に刃物で抉られるような痛みを伴うとも書いてありました。その設定必要か………??
何とかして王子の宮殿で暮らせるようになった人魚姫ですが、声が出せないので自分が命の恩人だと伝える事が出来ません。
その内に王子様は浜辺で介抱してくれた女性と縁談の後に結婚してしまいます。
悲しみに暮れる人魚姫の元へ、姫の姉が髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、『この短剣に王子の血を与えれば人魚に戻れる』と告げます。
姫はその短剣を忍ばせ寝ている王子の寝室へ。
しかし愛する王子を殺し、その幸せを壊す事ができなかった人魚姫は死を選びます。
これが本当の人魚姫の物語です。
大部分を省略して書いたので、詳しい事が気になる方は是非。(2回目)
さて、前回に引き続き雑学っぽくなりそうなので僕の思った事や考えを書き連ねようかな。
先程本題だと言った契約ですが、アンフェアな条件を飲んだ人魚姫が抱いていたのは本当に愛なのでしょうか?
僕はこの本を読むに連れて、『愛』と言うよりは『固執』や『妄執』という言葉が頭をよぎりまくりでした。メンヘラちゃんだったんですかね、人魚姫。
著者のアンデルセンも、生涯を独身で過ごしたというのは伝記にも残っています。
このアンデルセンの非モテ人生が、この妄執に駆られた人魚姫の悲劇を生み出したと思えばなんだか納得が行く気がします。
そして魔女。
王子を短剣で刺せば戻れるという重要な事を人魚姫には伝えず、効能だけ伝えて人魚姫をその気にさせた所で対価(声)を要求する。
悪徳業者もビックリな対面販売。
しかしまあ人魚姫もその薬を求めて魔女の所へ通い詰めですから筋は通っている…。
そこまでして人魚姫の声が欲しかったのでしょうかね。萌え声のババァとかもうめちゃくちゃだよ…(絶望)
どうだったでしょうか、アンデルセン著、『人魚姫』
この童話に限らず、グリム童話やイソップ童話にも、こういったエグいお話は沢山あります。
所詮童話だーなんて言って食わず嫌いせず、読んでみると色々思う事があるもんです。
それでは午後からも頑張って仕事しましょうかね!!!
僕も王子様になりてぇ( ˙👄˙ )
ってそんなキャラじゃなかった。
ひがな
雑記…?雑学…?
皆様こんばんは。ひがなです。
金曜の夜、所謂華金と呼ばれる時間ですね。いかがお過ごしですか?
僕は明日もお仕事なので粛々と準備をしつつブログを書いております。(;_;)
会社爆発しないかなー。
最近いい事無さすぎるねーって話を友人としていました。特に悪い事も無いんだけどいい事も無い。ラッキーが欲しい。(切実)
ラッキーと言えば、四つ葉のクローバーって見つけたことありますか?僕は1度、小学生の頃の校外学習で見つけた事があるのですが、カッコつけて女の子にあげました。今、幸せなのかな
今日はクローバー、正式名称をシロツメクサのお話をしようと思います。
僕の誕生日は5/27なのですが、誕生花が何を隠そうこのシロツメクサなのです。
意外がられたり、「あ、そんな感じする」とも言われがちなのですが、僕ってお花が好きなんです。
ユーザーネームの『ひがな』も、彼岸花が元になってるわけです。好きなキャラの名前でもあるんですが。まあこの話は別の機会に。
話を戻しまして、シロツメクサ
花言葉が『私を想って』『約束』『忘れないで』『復讐』……。
なんだかメンヘラチックなものを感じ取れますね。
幸運の象徴とされるクローバーの花言葉に『復讐』って似つかわしくないと思いませんか?
それには理由があって、
シロツメクサの花で冠って作りますよね。女性の方には覚えがあるのでは無いでしょうか?
まあこれはシロツメクサに限らずお花で冠って作るか。……作るよね?
そのシロツメクサの冠を相手にあげるわけです。
『私を想って』や『忘れないで』
なんて意味合いを込めて。
素敵な話ですよね。
しかし、実らなかった想いはどう転じると思いますか?
そう、『復讐』に変わるわけです。
皮肉な話で、相手を想って送った冠が復讐に裏返る…まあ気持ちは分からなくもないですが。
恋に破れた人の気持ちであったり、めでたく結ばれた2人のことを想っていた人たちが抱く嫉妬の気持ちであったりと、願いが叶わなかった人の悲しみやつらみ怨み表しているそうです。
人によっては怖い!なんて思われがちですが、僕はこの花、及び花言葉が嫌いじゃありません。
そんな風に心の底から人を想ってみたいもんです………(切実)
ちなみに、世界一番多く葉をつけたシロツメクサは何と56葉のクローバーだそうです。品がねえ!けどすげえ!
今日は日記や雑記と言うよりは雑学のお話になってしまいました。ま、たまにはこういうのもいいよね。
僕も冠、貰いてえ✌('ω')
ひがな
Sleep…sheep?🐑
こんばんは。
低気圧の影響でしょうか、それとも心配事のせいでしょうか。なかなか眠りに付けないひがなです。御機嫌よう。👁👃🏻👁
タイトルに書いたヒツジさんですが、あながちこの、眠れないって主題に外れても居ないんですよ。
眠れない時は羊を数えろってきいたことあるよね?あれって、元は英語圏での風習で、
『シープ(羊)シープシープシープ……スリープスリープ(睡眠)』と繋がるようにというおまじないと言うよりは日本の10回ゲームに通ずる一種の言葉遊びなわけです。
つまり日本人が日本語で『羊が1匹、羊が2匹』なんて数えてもあまり本来の意味合いとしては正解ではないんですよ。
でも寝付けない時の気は紛れるよね( ¨̮ )
睡眠と言えば、このブログの名前にも掠らせる程度には僕の人生において重要なファクターを担ってるわけですね。
18時間くらい寝続けてえ〜〜😉😉😉😉
orz
なんだか色々考える事があって気が滅入ってます。ひがなです。
思えば社会人になって数年経ったけど、毎日何かに追われるように生きてる気がする。
その『何か』の正体が、将来の事なのか、色恋の事なのか、お金の事なのか人間関係の事なのか、僕が知る術は無い、と思い込んで思考停止の日々を生きています。目先の仕事をこなしていれば気は紛れるしね。
僕の周りの人達は、良くも悪くもこれ!って形をハッキリさせていて、その中で騙し騙し自分の形を誤魔化しながら生きてる事に気づいた時、どうしょうもないほどの不安に駆られる。
僕の好きなバンドのひとつの、SPYAIRさんが歌っていました。
僕が僕である為に失っちゃいけないものは何?
形のないものに名前をつけて「夢」や「愛」と呼ぶ事で少し誇らしげ 本当はそんなんじゃないのに
(My World / SPYAIR)
この曲を作詞された方というのが、先日敬愛する人と書いたMOMIKENさんなのです。
僕はバカなので、考えても考えても『僕である為に失っちゃいけないもの』は分かりませんでした。
先述したように自分の形というものが無いからなのかな
自分探しの旅、してぇᐠ( ᐛ )ᐟ
ひがな
雨、キミを連れて
『雨、キミを連れて』
EGOISTさんの名曲ですよね。
もう6月だなーなんて。6月と言えば梅雨だなーって考えてました。
わたくしひがなは偏頭痛持ちなので天気の悪い日にてんで弱いので、雨自体やジメジメした空気はあまり好きではないのです。
…が、雨の音はとても好きです。
バカにされそうでこの考えを人に話した事はないんだけど、この際だし書き逃げしてしまおう。笑わないでね。
家の中から目を瞑って雨の音を聴いていると、色んな憧憬が浮かぶ
埃っぽいコンクリートにぶつかる雨、雨樋を流れる雨、どこか寂しそうに歩く人の傘を殴りつける雨。
そうやって、自分とは直接的に関係の無い場所の音を聴いている、または想像に浸っていると、自分の知らないところでも世界は動いているんだと解って安心するのです。
なぜこんな中二病くさい考えを持っているのか、という問に単純明快に答えるとすれば、『中二病だから』。ですかね( 笑 )
ロールプレイングゲームのやり過ぎでしょうか
僕にはたまに、『僕以外の人間全てがNPCであるのではないか』『壮大なドッキリなんじゃないのか』というバカげた妄想に苛まれます。
もちろんそんな訳が無いのですが、とてもとても不安で仕方なくなる時があります。
そんな自分に
『お前なんて奴は世界を形成する要素の0.00000000000000………………1%にも満たない』と教えてくれる様な気がして、どうしても雨の音が愛おしくなる。変かな?
『自分が世界の中心だったらいいのに』なんて昔考えたことがあったけど、今となってはそんな煩わしい世界、嫌で嫌で仕方ないんだろうな。
誰も僕の事なんて気にせず、誰に何を与えるでも与えられるでもなく、ただ淡々と過ぎ去っていく日常がいいな。それはそれで寂しいのかな。
明日、雨は降るかな
ひがな