父
皆様こんにちは、ひがなです。
いやあ夏の暑い事暑い事!
殺す気でかかってきてますね。
思うことがありまして。
僕の周りには、もう立派に働いて、『親』になる人間が割と居ます。
羨ましくも思う反面、僕なんかには到底追いつけないとこに居るなあ何て少しだけ思います。
僕の家族は少し特殊です。
その特殊な家庭を支えている大黒柱が父なのですが、その父が特殊な家庭足りうる要因の筆頭なのです。
えと、まず父親は今年32歳です。
僕と12歳差ですね。
なんとビックリ、12歳の時の子供なのか…!と思いきやそうでもない。母の再婚相手なわけですね。
なので弟や妹とも血は半分しか繋がっていません。
小学1年生の時、当時20歳だった父親を見た時は子供ながらに「なにやってんだよオカン…」と絶句した覚えがあります。
まあ今となっては片親や継母、継父なんてそう珍しい事でも無いと僕は思うんですけどね。
当時20歳、要は今の僕と同い年です。
僕に今日から8歳の息子ができた、何て事態になったとしたら僕はしっかりとした大人に育て上げる事が出来るのでしょうか。
ちゃんと褒め、ちゃんと叱る事ができるでしょうか。
そんな僕の有りもしない不安なんて何処吹く風、僕の父は若いとはいえしっかりと稼ぎ、僕の家族を食べさせてくれたのでした。
勿論、若いので子供の躾なんて戸惑ったに違いありません、殴られたりするのも多々ありました。
ですが大人になって、あの頃の父と同い年になった今、リビングで下ネタを飛ばし合う仲になっています。
学生の頃、最後に父に殴られた時。
小学生の僕にはとてつもなく大きく見えた拳も、分厚く見えた体も、今では僕とそう体格の変わらない、ただのオッサンになっていた事に強い衝撃を受けました。
父と暮らし始めてからも、なかなか「お父さん」と呼ぶ事ができず、本当の父親に会いたがっていたので、きっと沢山傷付けて、僕の知らないところで泣いたりもしたんだと思います。
僕が悪い事をした日、僕が学校を卒業した日、僕が受験に成功した日、僕が就職した日、僕が大人になった日…。
数々のターニングポイントで、本当の子では無い、僕の事を想う父の心情を想像する度、僕は少し泣きそうになります。
こんなSNSで、絶対に伝わらない場所だからこそ、今1度感謝の言葉を伝えたいです。
パパン、いつも迷惑をかけてごめん!いつか絶対GTR買ってやるからな!!!!
スマートなビジネスマンもカッコイイと思いますが、僕はあのだらしなくて屁が臭くてロバート秋山みたいな顔で、でも仕事となるとテキパキとこなす父親が、凄くカッコよく見えます。
これから父親になる人、母親になる人。
全員の家庭の今後の発展と進化を願って、この話を締めさせて頂きたいと思います。
小っ恥ずかしい内輪話になってしまいました。
次からはブログの説明通りの、思った事や日常を書き逃げたいと思います。
父親になりてえ…
ひがな
乾坤一擲
皆様こんばんは。
今日もじっとりと暑いですね。
ひがなです。
音楽聴きながらお皿洗いをしていました。
と言うのも、明日は会社で決起集会といいますか、まあ少し規模の大きめの飲み会があるんです。
僕は普段車で通勤しているのですが、明日は多分お酒を飲むことになるので、駅まで迎えに来て欲しいので母へのポイント稼ぎとしてお皿洗いをしました。(ゲスい)
いつも車の中で聴く音楽を、イヤホンで聴くとまた違った印象を受けて何だか新鮮ですよね。
さて、聴いていた音楽といえば、僕の敬愛するマルチクリエイターであるまふまふさんの曲を聴いていました。
繊細な中に上手くダークなサウンドを落とし込んで、疾走感のある曲風がとても好きです。
そんなまふまふ氏のツイートで、下駄と扇子を購入した、呟かれていました。
夏ですねえ…としみじみするのはジジくさ過ぎますかね。
僕は夏が好きです。が、暑いのは嫌いです。
ですが、夏祭りや、日本の和な感じは大好物です。
浴衣を1着持っているのですが、たまに意味もなく着て家の中をウロウロする程度には好きです(?)
話を戻しまして、まふまふさんが下駄を履いて夏を過ごすなら、真似っ子して僕も履こう!と言うことで下駄を靴箱から出してきました。
これで夏を満喫するぞー!おー!!
本題に入ります。
下駄を履いてコンビニに出掛ける途中、足元を見て「何だか寂しいな」という感想を抱きました。
そして帰って、黒のマニキュアを足の爪に塗って、扇風機で乾かしました。扇風機の前で全力の足指開きをしている僕。滑稽ですね。笑
メンズマニキュア。
女性からはもちろん、男性からも支持を受けづらいコンテンツですよね。
マニキュアに限らず、昨今少しずつ浸透してきているメンズメイク等も、まだまだマイナーなジャンルなのでは無いでしょうか。
僕はV系が好きなので、メイクにもマニキュアにも抵抗はありませんし、幸い顔も女顔なので、そう大して変でもないと思いたいです。
話がまた逸れてしまいました。
要は、自分のしたい事をして、自分の着たい服、好きな色、好きなメイクをしよう、って事です。
僕が上司に言われた言葉を紹介します。
「『こうだからこう』ではなく、『こうだけどこう』にしろ」
うん、こう書くと全く意味がわかりませんね
要は、流動的に選択せずに生きるんじゃなくて、選択肢を自分なりに増やして、好きな道を行け、という事なんですね。
『男だからダメ』ではなく、いろんな技術を身につけて、『男だけどこう』にして行きたいよね。
それではこの辺で。
ひがな
善行と偽善の違い
皆様こんばんは
ひがなです。
今お酒を飲んでいて、上手く文字が打てなくて、誤字脱字が多いかと思います、読み苦しいかとは思いますがご容赦ください。後日覚えてたら修正します。
へべれけってやつですね。
いい感じにふわふわして気持ちがいいです。
嫌のことも一時的に忘れられて良い逃避になるんじゃないでしょうか!
へへへ
今日お話しようと思うのは、僕の弟君のお話です。
今年16歳になる高校生の弟君は、種違いと言うのが正しいのでしょうか、半分だけ血が繋がっています。
だから僕なんかより背が高くて、かっこよくて、運動もできる、性格も僕とは全然違うタイプの人間です。
しばらく前から反抗期で、よく親と激しめの言い合いをしているのを聞きます。
鬱陶しいなぁなんておもいますし、昔は流血ものの殴り合いなんかもしてました。
ですが、先日弟君の個人懇談があったらしく、学校の先生と母が話した時のことを聞きました。
聞くところによれば、弟君は学校ではとても評価が良く、とてもよく笑う子で、優しいとの評価を頂いているそうです。
…家にいる時と真逆では…?(・・?)
と母は思ったそうな。
しかし学校では、車椅子の友人が登校してくる迄校門で待っていて、車椅子を押して一緒に談笑しながら登校したりするそうです。
僕は衝撃を受けました。
僕に同じことが出来るでしょうか。
勿論、その場に居合わせたとしたらいくらクズの僕も車椅子を押すくらいできたと思うます、が、毎日となると、多分できないんじゃないでしょうか。
今まで、家では乱暴かつ無口で横着だった弟君への見方が変わった瞬間でした。
『偽善』でも立派な正義である。という言葉を何度も聞きます。
弟のしている事が偽善だとは思いませんが、彼と、彼の友達の間に確かな信頼と共生の意があるのなら、それはたとえ偽善だとしてもとても素敵な事なのでは無いでしょうか。
弟カッケェよ…ᐠ( ᐛ )ᐟ
ひがな
明日を生きる糧、とは
皆様こんばんは。
ひがなです。
そろそろ夏本番って感じですね。
暑い日がまだまだ続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
僕は少しだけ日焼けしてしまいました。
だいたい20日くらいで皮膚の細胞が入れ替わるので、それまでは日焼け止めが手放せません。orz
最近、SNSや久方ぶりに会う友達からの報告等で、結婚する、や、子供ができた、なんておめでたい報告をよく貰います。
いやあ、嬉しい話ですよね。そんな幸せの1ページを僕にも読ませて頂けてると考えただけでニッコリしてしまいます。
奥さんやお子さんの為に明日も頑張ろう、ってきっとなるんだろうな。少しだけ羨ましいかもしれない。
まだ僕には、人を幸せにできるような甲斐性も無ければ、子供を立派な大人にしなくてはいけない責任を果たせるような人格者になれた自覚も無いので、まだ暫くは夫や父という肩書きは貰えそうにありません(;´д`)
でも、案外そういう覚悟なんて、後から悩んで迷って頭の中でグチャグチャになって、その中で形にしていくもんなのかなあとも思います。
さて、そんな『大人の生きる糧』のひとつのお話をしたところで本題です。
皆様にはこれ!っていう『明日への活力源』って何かありますか?
僕はお酒が好きなので、たまに飲みに行くそのハメ外しが結構な活力になってたりします。
ですが1番は、また別のとこにあったりします。
僕の来年中学生になる妹は、生まれつき心臓に疾患を抱えて生まれてきました。
町の小さな病院で、母が分娩室のある1階から妹を抱き抱えずに、絶望の顔で階段を登ってくる様を僕は鮮明に覚えています。
何分小さな病院だったので、大きな循環器科がある病院に輸送されたんですね。
12年前の話で、あまりよく覚えていないのですが、何がなにやらわからなかったんだと思います。
今も、妹の胸には痛々しい手術痕があります。
なんで妹が、なんて何回思ったか計り知れません。
僕みたいなクズではなくて、善も悪もない新生児にそんな大変な病気を患わせるなんて、と何度も思いました。
幸い、術後に大変な問題が起こることもなく、今も妹は元気に学校生活を送っています。
そんな姿を見ると、『負けてらんねーな』なんて感じるわけ
兄として、男として、僕よりハンデを多く抱えた妹と同じ時間を生きる1人の人間として。
勝ち負けじゃないって事も充分にわかってて、それでも何もせずに怠惰に生きるなんて事は、僕より散々痛い思いをして、怖い思いをした妹に示しがつかないと思うので、僕は明日も頑張って生きるのです。
みんなも元気に生きようね
ひがな
幸せについて
皆様こんばんは
暑い日が続きますね
体調等崩されていないでしょうか。
カラリと乾いた日ならさほど不快感は無いのだけれど、最近はジメッとした纒わり付くような暑さがとても鬱陶しいですね。
さて、表題にしました、「幸せについて」という僕の考えをお話させてください。
この話を読んだからと言ってこれを貴方の『幸せ』に掲げる必要はありませんし、僕個人としての考えとして一読して頂ければと思います。
昔から哲学者や宗教家が死ぬほど議論してきたであろう「幸せ」の定義ですが、僕としては『死』こそが幸せであると考えます。
……おいおいコイツ似非厨二メンヘラかよ…と思った方、少し待ってください(^ω^;)
死、とは言っても、死亡する事が幸せだとは思いません。死ななくていいこの世のルールがあるとしたら、それに縋りたいとも思います。
僕が思う幸せとは、『緩やかな死』
また厨二くさい事を…。
日々を生きて、緩やかに死に向かって行くのが幸せな生き方なんじゃないのかなあと思います。
急いでせっかちに死に急ぐのは、あまり幸せだとは思いません。
貴方の好きなものを想像してみてください。
好きなひと、甘いもの、読書、ゲーム、スポーツ、ねむること、etc……
そんな小さかったり大きかったりする好きなことを味わいながら、少しずつ穏やかに死にに行く、そんな幸せって人生において他にあるでしょうか…
緩やかな死、おすすめです。
すこし短めですがここで終わらせて頂きます。
か、書くことが無くなったわけじゃ、ないんだからっっ/////
それでは、おやすみなさい。
いい夢を見てねヾ(:3ヾ∠)_
お久しぶりです。
皆様、お久しぶりです。ひがなです。
最近リアルの忙しさに目が回っていました。
数は少ないとはいえ、楽しみにしていてくれる方がいる限り、日記を書きたいとおもっています。アーメン。
さて皆様、今日は何をお話しようかと考えていたらもう夜ですよ。お昼くらいに「あ!記事書こ!」って思い立ったはずなのに…。
書くことがね、無いんですよ。僕はつまらない人間なんですよぉ!!!
と、散々喋ったところで本題です。
人の心について僕の思うことをお話したいとおもいます。
僕は普段、そんなに自分の事を喋る方ではありません。今の事、過去の事、将来の事…。
自覚している、と言うか、せざるを得ないのですが、僕の生きてきた人生というのは、まあ幾分『普通』とはかけ離れている20年だったとおもいます。
この『普通』が何を持ってして普通なのか、という話は、キリがなさすぎるので辞めておきましょう。
ですが、普通の親がいて、普通の友人がいて、そこそこに女性とお付き合いして、仕事なり学業なりに専念して…という即ち僕の同年代の人ならば80%(?)くらいは歩んでいるであろう人生では無い、という事は、馬鹿の僕にもわかります。
なので、なんだろう…たった今、僕はそれなりに幸せなので、全部話しちゃうとちょっとした不幸自慢の様になってしまう気がして、あまり気乗りしませんし、何より話す場所も相手もそう居ません。
とても仲良くさせて貰っている友人にも、100%ありのままを話したことは無いんじゃないでしょうか。
誰しも、人の人生なんてそんな手軽に喋り切れるほど薄いもんじゃないと思っています。
…と、話が逸れちゃいましたね。
兎にも角にも、僕は自分の事は余り喋らないです。
そして、まあこれも選択の余地の無いものなのですが、顔や表情、雰囲気や仕草など、全ての人としての『外見』と言われる僕の見た目から、「何を考えているかわからない」って言われがちなんです。
いつも眠そうだし(1重の宿命!)、イライラしてても黙ってしまう癖のせいで、あまり感情が表に出ないタイプなのだと自己を分析しています。その自己分析の精度の話は置いといて。
まあ、簡単に言ってしまえば「取っ付きづらい」んですよね。
だから、僕が個人的に、或いは一方的に好感を抱いている人に、行動や言動、心理を読まれると、少し嬉しく感じます。
普通の人は、自己を他人に分析されるのを嫌がる、と聞きました。僕は普通じゃない…?
こんなエピソードがあります。
僕は数ヶ月前、交通事故を起こしました。
久しぶりに会う友人4人と、ボウリングに行こうー!ってなった行きの道のりです。
ラウンドワンまであと30m…という所で前の見切り発車気味のコンパクトカーに追突しました。
正確には、追突する!ってところで急いでハンドルを切ったので、擦った、と表現する方が正しいのでしょうか。
助手席に乗っていた女性の悲鳴は今でも忘れようがありません(笑)。
行きに事故るなよ……俺………。と自分を責めながら、相手の方と事故処理を済ませ、とても心配をかけたであろう友人達の前で、全然平気だぜ!ボウリング楽しもう!と、若干空回り気味のテンションで車に戻りました。
後日、その時遊んでいた友人と2人で飲んでいると、「あの時○○さんがお前の事故ったあと絶対明るく振る舞うよねーって話してたぞ」と聞いて、とてもとても嬉しく感じました。
その○○さんとは、中学1年の時からの付き合いで、恋愛や将来の事で相談(雑談?)に乗ってもらっていたので、僕という人間について理解していてくれたのでしょうか。
理由はともあれ、とても感動しました。
と、とても「だから何?」と言われそうな話題でしたが、如何でしたでしょうか。
話を聞かなくても分かってくれる友人、とはとても尊いものだと思います。
2重になりてえ…(引きずってる)