微睡みの旋律の中で

好きな事や好きな服、食べ物、出来事なんかを徒然なるままに書き連ねたい

『依存』

皆様こんにちは。

あけましておめでとうございます。ひがなです。

 

文章を書きたい気分だったので、お題をフォロワーさんに頂いて、只今書き連ねています。

 

頂いたお題は「依存」。

アルコール依存症をはじめ、煙草依存症、ギャンブル依存症恋愛依存症…etc.

 

様々なジャンルで聞く言葉ですよね。

斯く言う僕も、煙草依存症でした。

ある人の助け…いや懇願…?いや脅し…?で禁煙中ですが、今でもご飯あとなんかは吸いたくてしょうがないです。

 

まず依存症になる理由は沢山あるし、簡単に表現出来ないのですが、システムを無理やり書き起すなら

『心の穴を埋めるため』と言われています。

 

ショッキングな出来事、トラウマ、恐怖、そんなマイナスな感情、またはその逆から生まれてしまった心の虚を、何かに依存する事で埋めようとして、それが手放せなくなってしまうそうです。

しかし、依存症の数だけ理由はあると僕は思います。

 

例えば。

今日は仕事で辛いことがあった、お酒で忘れて無理やり寝よう!

なんて、身に覚えがありすぎる事例ですが、僕はアルコール依存症ではありません。

 

この場合、『仕事での辛いこと』が心の穴に当てはまり、「お酒」が埋めるためのセメントの役割なんですね。

 

ですが、『お酒で忘れる』という行為自体に、問題を解決する、つまり穴を埋められる効果はない訳です。

 

その一晩、眠るまで忘れられるだけで、穴自体は埋まっていないんですね。

だから次の日もお酒、その次の日も…と回数を重ねていくうちに、アルコール依存症になってしまうわけですね。

 

人間は慣れるものなので、『アルコール有りきの自分』にいつの間にかなってしまいます。

アルコールが無いと不完全、不安定。

そんな中で依存症になってしまうんですね。多分。

 

他のわかり易い例えをしてみましょうか。

「私はこの人の事が好き!この人以外有り得ない!」と思ったことあるでしょうか?

 

恐らくですが、この感情を持った時点でその人への依存に片足突っ込んでると思いますが、今回お話するのは「恋愛への依存」なので、「個人への依存」はまた別の機会に。

 

とにかく、誰か隣にいて欲しい、心の拠り所が欲しい…という感情が、恋愛依存症に繋がるんだと思います。

生憎、僕は恋愛経験が乏しく、依存症の土俵にも立てていないので、100%理解することは恐らくできませんが、まぁ何となく分からなくもない感情ですよね。

 

 

なんだか、長いこと書いてしまった気がしますが、まだ1000文字ちょいということに驚きが隠せません。疲れた。

 

 

依存症が悪いことなんて僕は思いません。

依存してしまった人の心が特別弱いとも思いません。

元を突き詰めていけば、大体の依存症の元が「好き」という感情だと思うんです。

それが、必死に生きてるうちに少しだけ、ほんの少しだけ歪んでしまった。それだけなんじゃないでしょうか。

 

じゃあその歪んでしまった「好き」が、どういう風に他人に、周りに波及していって、どのような影響を及ぼすのか。

そう真正面から自分と向き合って考えた時、何かに依存している人も、これは別にいい依存、これは良くない依存。と分別がつくんじゃないかなあと思います。

あんま無責任なこと言えないけどね。